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子供を癒す力

マイケル

~~~
どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。髪の色が赤か茶色かを知る以 前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならな いのです。12年ほど前、『バッド』ツアーをはじめようとしたころ、一人の少年が両親とともに、カリフォルニアの自宅を訪ねてきまし た。その少年はガンのため、死期が近づいていました。わたしの音楽、そしてわたしのことがどんなに好きかを語ってくれました。

少年が長くは生きられず、今すぐにでも天国に召される可能性があることを、彼の両親から聞き、わたしは彼に言いました。「ねえ、3 カ月後、君の住んでいるカンザスでコンサートをするよ。見に来てほしい。さあ、ビデオで着たこのジャケットを君にあげよう」。 少年は目を輝かせて言いました。「ぼくにくれるの」。わたしは答えました。「そうだよ。でも、ツアーの時、着てくるって約束して」。 わたしは少年を持ちこたえさせようとしていたのです。「ツアーの時、君がこのジャケットを着て、この手袋をはめている姿を見たい んだ」。そうわたしは言い、ラインストーンの手袋を少年にあげました。――以来、ラインストーンの手袋は二度と人にあげていません。

少年は今天国にいます。おそらく、ずっと天国に近いところにいたのでしょう。わたしがカンザスに行った時には、すでに亡くなって いました。あの手袋とジャケットを身に付けて、葬られたそうです。少年はちょうど10歳でした。少年が持ちこたえようとベストを尽く したことは間違いありません。彼が亡くなった時、両親からだけでなく、血のつながりのないわたしからも、自分が愛されたことを実 感していたことだけは確かです。わたしは彼のことが大好きでした。愛情をいっぱいに受けたことで「自分がこの世にたった一人で現れ、 たった一人で去っていったのではない……」と思っていることでしょう。愛されている実感をもってこの世に生を受け、愛されている 実感をもってこの世から去るなら、生きている間に起こるすべてを乗り越えられるのです。

たとえ教授に中傷されたとしても、そう感じないでしょう。上司にしいたげられようとも、へこたれないでしょう。会社の同僚に打ち 負かされたとしても、成功の喜びを感じられるでしょう。

愛情を受けて育ってきた人を、心から傷つけることはできません。自分が愛される価値のある人間だという実感をもっているからで す。それ以外の感情はただの包み紙のようなものです。

しかし、愛された記憶がなければ、心を満たすものを求め、世界中を探し回るようになります。

どんなにお金を稼ごうとも、どんなに有名になろうとも、まだ虚しさを感じることでしょう。

本当に探し求めているのは、無償の愛、つまりは無条件に受け入れられることです。生まれた時に、享受できなかったものなのです。

想像してみてください。ここにアメリカの典型的な1日の特徴を示すデータがあります。――6人の未成年が自殺をし、12人が銃の犠 牲になっています――いいですか、これは1日当たりの数字で、年間の数ではありません。399人の子どもたちが薬物中毒で逮捕され、 1,352人の赤ちゃんが10代の母親から産まれています。

これは歴史的に見ても非常に豊かな先進国で起きていることです。実際アメリカでは、ほかの先進国と比較にならないほどの暴力行為 が多発しています。アメリカの若者が、心の傷や怒りを表現する方法なのです。しかし、イギリスの若者の間に、同じ痛みや苦しみが ないわけではありません。調査によると、イギリスでは、1時間に3人の未成年者が、自虐行為――自ら体を傷つけたり、自らやけどをした り、薬物を過剰に服用したり――をしているそうです。こうして彼らは、愛されない心の痛みや苦しみを乗り越えようとしているので す。イギリスでは、1年に一度しか、家族そろって夕食をとれない家庭が20%もあるそうです。1年にたったの一度ですよ!

寝る前の本の読み聞かせという貴重な時間を大切にしていますか。1980年以降の調査によると、読み聞かせをしてもらっている子ど もたちは優れた教養を身につけ、学校でもいい成績を修めています。しかし、イギリスの2歳から8歳の子どものうち、毎晩本を読み聞 かせてもらっているのは33%にも満たないそうです。今の親たちが子どものころには、75%が本を読み聞かせてもらっていたこと を考えると、もっと深刻にとらえなくてはならないでしょう。

この心の痛み、怒り、暴力行為の原因は探るまでもありません。子どもたちは明らかに、愛してほしいと訴え、関心をもたれないことに 体を震わせ、注目してほしいと叫び声をあげているのです。アメリカの様々な児童保護機関によると、毎年何百万人もの子どもたちが、 放っておかれるという形の虐待の犠牲になっているそうです。

放っておかれるという形の虐待。あらゆる電化製品を完璧に備えた裕福な名声のある家庭の中で起こっています。両親が帰宅する。でも、 本当にうちに帰ってきたのではない。頭の中はまだ仕事場にある。じゃあ、子どもたちは?与えられた感情のかけらで間に合わせて いるだけ。そして絶え間なく流れるテレビ、コンピュータ・ゲーム、ビデオから得るものは少ない。なぜわたしが自分の時間や財産の多 くを「ヒール・ザ・キッズ」の活動をはじめるために費やすことにしたのか、おわかりでしょう。わたしは統計の示す悲しい数字に、 魂をもぎ取られ、精神を揺さぶられたのです。私たちの活動の目標は単純です。――親子の絆を取り戻し、関係を修復し、地球の 将来を担うすべての子どもたちの進む道を明るく照らすことなのです。

わたしは、今日初めて公に講演をしています。みなさんに温かく受け入れられ、さらに話をしたいという気持ちになりました。人には それぞれ事情があり、その意味で、統計データが独特の意味をもつこともあります。子育てはダンスのようだと言われます。親が足を 一歩踏み出すと、子どもも足を踏み出す。ですから、親が子どもたちのために再び愛を捧げるだけでは、まだ半分しか意味がないのです。 子どもの側にも親を再び受け入れるよう準備しなくてはならないのです。

小さいころ、ブラックガールという名の犬を飼っていました。オオカミとレトリーバーの混血です。ブラックガールは番犬としての役目 を果たさないばかりか、とても臆病で神経質で、大きな音を立てるトラックや、インディアナ州を通過する雷にもおびえていました。 妹のジャネットとわたしは、ブラックガールをとてもかわいがりましたが、前の飼い主によって奪われた信頼感を取り戻すことはつい にできませんでした。前の飼い主がブラックガールを虐待していたことを知っていましたが何をしたかはよくわかりません。でも何を していようと、それが原因でブラックガールが健やかな心を失ったのは確かです。今日、多くの子どもたちは愛に飢えた子犬のようで す。そのような子どもたちは親のことを考えようとしません。そのままにしておくと、独立心おう盛な子どもに育ちます。親元から離 れ、去っていきます。ひどい場合は、親に恨みや怒りを抱き、その結果、親は自分のまいた種で、自らの首を絞めることになるでしょう。

このような過ちは今日ここにいるだれにもおかして欲しくありません。ですから、自分が愛されていないと感じても親を許すよう、世 界中の子どもたちに呼びかけているのです。今日ここにいる人からはじめましょう。許してあげてください。もう一度愛する方法を親 たちに教えてあげてください。わたしにはのんびりとした子ども時代がなかったと聞いて、驚く人はいないでしょう。父とわたしとの 間の重圧や緊張は、よく取り上げられます。父は厳しい人で、小さいころから私たち兄弟がすばらしいアーティストになるよう強 要しました。父は愛情を示すのが苦手で、まともに愛していると言われたことは一度もありませんし、褒められたこともありません。 ステージで成功をおさめても、まあまあだとしか言ってくれませんでした。

そしてまあまあのステージなら、父は何も言いませんでした。父は何も増して、わたしたちが仕事上成功することを望んでいるように 思われました。その点における父の力はずば抜けたものでした。父にはマネージメントの才能があり、そのおかげで、わたしたち兄 弟はプロとして成功しました。芸能人として訓練され、わたしは父の指導のもと、敷かれたレールから足を踏み外すことはできません でした。

でもわたしが本当に欲しかったのは、「お父さん」です。自分を愛してくれる父親がほしかったんです。父は愛情を示してくれたこと がありませんでした。目をまっすぐ見つめ好きだと言ってくれたことも、いっしょにゲームをしてくれたこともありませんでした。肩 車をしてくれたことも、まくら投げをして遊んだことも、水風船をぶつけあったこともありません。でも、4歳のころ、小さなカーニ バルで、父が私を抱き上げ、ポニーに乗せてくれたという記憶があります。それはちょっとしたしぐさで、おそらく5分後には、 父は忘れてしまったことでしょう。しかし、その瞬間、わたしの心の特別な場所に、父への思いが焼き付けられました。子どもとはそ んなもので、ちょっとした出来事がとても大きな意味をもつのです。わたしにとっても、あの一瞬がすべてとなりました。たった一回の 経験でしたが、父に対して、そしてこの世の中に対していい思いを抱いたのです。

自分自身が父親となり、ある日わたしは、我が子プリンスとパリスが大きくなった時、自分がどう思われたいと考えているのか、自問 しました。もちろん、自分の行くところにはいつも子どもたちを連れて行きたいし、何よりも子どもたちを優先していることを、わか ってほしいと思います。しかし、あの子たちの人生に困難がつきまとっているのも事実です。パパラッチに追いかけられるので、公園 や映画館にいつも一緒に行けるわけではありません。あの子たちが大きくなって、わたしを恨んだら?わたしの選んだ道があの 子たちにどんな影響を与えるのでしょう?

どうして僕たちには普通の子ども時代がなかったの、と聞くでしょうか。その時、子どもたちがいい方向に解釈してくれるといいと 思います。「あの特殊な状況の中で、父さんはできるだけのことをしてくれた。父さんは完璧ではなかったけど、温かで、まあまあで、 ぼくたちを愛する努力をしてくれた」とあの子たちが心の中でつぶやいてくれるといいなと思うのです。

あの子たちが、あきらめざるを得なかったこと、わたしのおかした過ち、子育てを通じてこれからおかすだろう過ちを批判するのでな く、いい面、つまりわたしがあの子たちのために喜んで犠牲を払ったことに、目を向けてくれればいいと思います。 わたしたちはみな 人の子で、綿密な計画を立て、努力をしても、常に過ちをおかしてしまうものなのです。それが人間なのです。このことを考える時、 つまり、どんなにわたしがあの子たちに厳しく評価されたくない、いたらない面を見逃してほしいかを考える時、わたしは父のことを 思わずにいられません。 子どものころ、愛されたという実感はないけれど、父がわたしを愛してくれていたに違いないと認めざるを得 ないのです。父はわたしを愛し、わたしにはそれがわかっていた。愛情を示してくれたことは、ほとんどなかったけれど。

子どものころ、わたしは甘いものに目がありませんでした。 ―兄弟みんなそうでした。シロップに覆われたドーナツが大好物で、父 はそのことを知っていました。数週間に一度、朝1階に下りて行くと、紙袋に詰め込まれたドーナツがキッチンカウンターに置いてあ ったんです ―メモも説明もなく― ドーナツだけが置いてありました。まるでサンタクロースみたいでした。 夜中まで起きていて、 ドーナツが置かれるところをみようと思うこともありました。 でも、サンタクロースと同じように、二度とドーナツが置かれなくなるこ とを恐れ、その魔法を大切にしようと思いました。父はだれかに見られないように、夜中にこっそり置かなければなりませんでした。 父は自分の中の人間的な感情におびえ、それを理解できず、どうしていいかわからなかったのです。しかし、ドーナツの件ではわかっ ていたようです。心の防波堤の扉を開けたままにすると、わたしの心に様々な記憶が走馬灯のようによみがえってきます。 ちょっとし たことで完全ではありませんが、その記憶は ゛父ができることをしてくれた゛ ということです。そこで今日これからは、父がしてくれ なかったことに目を向けるのでなく、父がしてくれたこと、父の努力に目を向けようと思います。 そして、父を非難するのをやめよう と思います。わたしは父が南部の貧しい家庭で育ったという事実に思いをはせるようになりました。

父は世界大恐慌の年に、この世に生を受けました。 わたしの祖父は家族を養うのに精いっぱいで、ほとんど愛情をしめすこともなく、子 どもたちを厳しく育てました。 アメリカ南部で貧しい黒人が大人になっていくということが、みなさんにはどういうことか想像もつか ないでしょう。人間としての尊厳を奪われ、望みを失い、身分の低い者として見られる世の中で、一人前になるようもがくことなのです。 わたしはMTVで最初に歌った黒人アーティストです。当時でさえ、大きな出来事だったと記憶しています。それが80年代のことです。

父はインディアナ州に引っ越し、所帯をもち、たくさんの子どもたちに恵まれました。家族を養うため、製鋼所で長時間働きました。 それは、肺を痛めつけ、屈辱的な気持ちにさせるような仕事でした。父が自分の感情をさらけだせなかったのも、無理もないことでした。 心をかたくなにし、壁でふさいだとしても何の不思議もありませんでした。そして何よりも、自分が経験した屈辱的人生や貧困を子ど もたちに味わわせないように、子どもたちが芸能人として成功するように強要したのも、当然のことでした。父の厳しさはひとつの愛 情の表れだった。完璧ではないけれど確かに愛だと、わたしは感じはじめるようになったのです。

父はわたしを愛しているから、強引に背を押したのです。自分の血を分けた子どもたちが低く見られるのは嫌だったのです。時ととも に、苦痛は、感謝の気持ちへ変わっていきました。怒りを感じていたところも、許せるようになってきました。復しゅうしたいと思っ ていたところも、折り合いをつけられるようになりました。はじめに感じていた怒りは寛容さへとゆっくり変わっていきました。10 年前になりますが、わたしは「ヒール・ザ・ワールド」(Heal the World)というチャリティー活動をはじめました。わたしは心で感 じたことを、その名に託しました。よく知らなかったのですが、のちにシュムリーから、HealとWorldという単語は旧約聖書の預言の 基盤となっていることを聞きました。みなさん、わたしがこの世界を、今日でさえ戦争と大虐殺に翻ろうされている世界を、本当にい やせると信じているとお思いですか?

わたしが子どもたちを本当にいやせると考えているとお思いですか?コロンバインハイスクールで起きたように、銃を持って学校 へ行き、クラスメートを撃ち殺してしまうような子どもたちをいやせると考えているとお思いですか?1993年に2歳で殺害されたジ ェイミ・バルジャーの悲劇のように、自らを守れない幼児を殴って死に至らしめるような子どもたちをいやせると考えているとお思い ですか? ―わたしはもちろん、そう思っています。そうでなければ、今晩ここに来ていないでしょう。すべては許すことからはじま るのです。世界をいやすためには、まず自分自身をいやさなくてはならないからです。子どもたちをいやすためには、まず子どもた ちの心の中をいやさなくてはなりません。どの子どもたちも同じです。

わたしは、このままでは完璧な大人にも、無償の愛を与えられる親にもなり得ないことがわかり、子ども時代のつらい記憶の扉を閉め ました。みなさんにも、そうしてほしいのです。モーゼの十戒、第五の戒律(あなたの父と母を敬え)にふさわしい生き方をしましょう。親 を非難するのではなく、尊敬しましょう。物事をいい方向に考えましょう。だから、私は父を許し、父を非難するのをやめようと思 うのです。父を許したい。「お父さん」をほしいから。結局わたしには彼しかいないのです。わたしは過去の重荷を肩から降ろし、父 との新しい関係を踏み出したいのです。過去のつらい記憶に邪魔されず、未来を築きたいのです。憎しみに満ちた世界でも、望みをも たなければなりません。

怒りに満ちた世界でも、慰めの心をもたなくてはなりません。絶望に満ちた世界でも、夢を忘れてはなりません。不信感に満ちた世界 でも、信じなくてはなりません。親から傷つけられたと感じていらっしゃるみなさん、失望感を捨ててください。親にあざむかれたと お思いのみなさん、これ以上自分自身をあざむくのはやめましょう。親が邪魔だと思っているみなさん、代わりに手を差し出してくださ い。ご両親に無償の愛を与えてください。これは、みなさんに望むことであり、自分自身に言い聞かせていることでもあります。 そうすれば、親たちはわたしたち子どもから愛し方を学ぶことでしょう。そうすれば、荒れ果てた寂しい世の中に、愛が取り戻される でしょう。シュムリーが「子どもたちの心を通じて両親の心が取り戻される時、新しい世界、新しい時代が来るだろう」という旧約聖 書の預言を話してくれたことがありました。

みなさん、わたしたちがこのような世界をつくっているのです。 わたしたちがその世界に住む子どもたちなのです。インド建国の 父マハトマ・ガンジーが言いました。 「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」 さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響 を与えようとも、乗り越えなければなりません。ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、 互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれま せん。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。結果として、わたしたち みんな、もっと幸せになるでしょう。みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。

世界をいやし、痛みを取り去ろう。そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。


~~~~~~オクスフォード大学での講話(マイケル・ジャクソン)
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生きるとは。(働くとは。)

働くとは=生きること。ほとんどの人間がそうだと思います。
生きること=お互い苦しめあうこと。これが人間のやり方だと思います。

幸せを本気で考えてほしい。そう一番近い人間は思っているのではないでしょうか。

幸せについて本気で考えないと、真っ逆さまに落ちる崖の上に今いるんじゃないでしょうか。

マイケル・ジャクソンの怒りは危機じゃないでしょうか?

黄金の金玉さんの記事を紹介します。以下転載→

さて、ふと最近思ったことを書きます。
老人のひとりごとです。
気にしないで下さい。

ワタスはいつも不思議に思うことがあります。
いつも苦しんでいる人がいる一方で元気ハツラツ。
いつも楽しいことをやって生きている人もいる。

同じ人の一生なのに何でこうも違いが出るのだろう。
この違いはなんだろうということです。

いつも、何をやってもうまくいかない、いつも苦労する。
がんばって仕事をして働きづくめなのに、暮らしも一向に良くならないそういう人もいます。もう一方で、好きなことを楽しんでやっているだけなのに何故だか食って行ける。
何故だか収入も十分にある。そういう人もいます。

ワタスは最近思うのですがそういう現象も結局のところ自分で引き寄せているのではないかと思うのですた。
いつも頑張っている。たしかに頑張っているには違いないのですが、いつも眉間にしわを寄せて何か頑張っていることを体中で表現している人がいます。必死さをいつもふりまいているというか。引き寄せの法則でいうなら、そういう人は結局のところそういうのが好きだからそうしているのだと言う風に思うのです。
脱力して、ニコニコと笑って暮らしてみたらいいのにと。
肩の力を抜いて、フワフワと適当に暮らして見ては如何かと。
がばいばあちゃんのようにカハハと豪快に笑って過ごしたらどうかと思うのですた。

不安になるからこそ、努力する。勉強する。自分を鍛える。未来に備える。
しかし、何か頑張れば頑張るほど、そういう現実を引き寄せるのではないでしょうか。
不安だからこそ頑張る。頑張ってもその不安は消えない。いつまでもつきまとう。実は頑張ることが解決策ではなく、不安を捨て去ることが解決策なのではないでしょうか。

あっけらかんと、のほほんと暮らして、力を抜いて生きればそういう現実がやってくるのではないでしょうか。
バカになって生きれば、楽しみながら、笑いながら生きれるのではないでしょうか。

例えば、皆さんは働かざる者食うべからずと言います。
一生懸命仕事をする。それが美徳だと言います。
まぁ、昔から言いますが、勤勉な日本人。
それは確かに美徳ではありますが、実際、現代社会において働くとはどういうことでしょうか。

一生懸命働いて、残業して、ひいこら言いながら、何やらわけのわからない商品の提案書を書いているとか。
その商品は今度出す、ポケモン絵柄のパンティだったとか。
良く考えるとやっていることは遊びではないでしょうか。
当の本人はまじめに一生懸命、汗水たらして働いているのでしょうが、
やっていることは、資源を無駄にして、電気代を無駄にして遊んでいるだけではないか。ワタスがこのように適当に鼻毛をほじりながらブログを書くのと、残業してひいこら言いながら提案書を書くのと何の違いがありますか。
そのように思います。

例えば、新商品を生み出すといったって、ゲームソフトを作る会社だったら商品は遊びの道具です。
出版業界だって作ってる本は内容を読めば分かりますが、ほとんどが内容のない遊び本ですしキャバクラ嬢がまじめに働くといったって、要するに酒を飲んで遊んでるだけです。芸能人が仕事といくら忙しそうに立ち回ってもやっていることはお笑い番組ではないですか。
自動車メーカーだって必要もないのに、モデルチェンジを繰り返して売るのは結局のところ遊びです。携帯電話だってこれ以上機能を詰め込むと訳が分からなくなると思うのですが、一生懸命競争して新商品を出しています。液晶テレビだって、これ以上画質を良くしてどうかと思いますが。
大きな意味で言えば、遊びではないでしょうか。

現代社会において、仕事とは遊びです。
まじめにやっているのでしょうが、やっていることは必死にやるべきものとは到底思えないことをやっています。
どうせ遊びなら、ノホホンと適当に笑いながらやればよいとは思いませんか。
バカも休み休みやれ。
品質がどうの。納期がどうの。
遊びにそんなものが必要ですか。
ポケモンの絵柄が少々ずれていたって良いではないですか。
ポケモンの絵柄がずれて股間のど真ん中にあったからって不良品なのでしょうか。
黄ばみが分からなくて良いではないですか。

納期とかノルマとか。品質とか。
仕事が辛くて自殺するとか。
バカは死ななきゃなおらないと言いますが、遊びのために死んでいるのだから世話がありません。ここまでいくと真正のキチガイです。

日本人が辛い辛いと言いながら生きてるのは、結局のところそういう必死さが好きだからではないでしょうか。
やってることは遊びなのだから遊びらしく適当に楽しく暮らせば良いのでは。

玉蔵は引退して暮らす身だからそのようなことが言えるのだ。
実際問題、そんなことをしたら暮らしていけないではないか。
そういう突っ込みがあるのは分かります。
しかし、本当にそうでしょうか。

一生懸命遊ばなければ食えなくなる。

自分たちで、そんな仕組みにしてるだけではないですか。
遊びと、生活が直結しているのがそもそもおかしいのです。

ネットゲームで勝てなきゃ飢え死にする。
そんなバカな社会がありますか。
毎日一生懸命勤勉に満員電車でネットカフェまで通勤しては四六時中ネットゲームをやっている。
ワタスから言わせると、そんな異常な社会に見えます。

この世は自分達で辛くしている。
本当は、楽しくてしょうがない世の中なのに。
自分で辛くしている。

水で走る車。新エネルギー
実はもっと早く世の中に出ても良かった技術です。
おバカな人間の何かしらの圧力で出てこなかっただけです。
今、この現実を辛いものにしているのは自分達自身だ。
いつもそう思います。

バカらしい。
いち抜けた。
違う選択をする時期が来たのではないでしょうか。
そろそろ、そういうべき時が来たような気がしています。

本当にありがとうございますた。

人間の未来

森田健著 不思議の科学から→

「人間側の未来は別にあるのですね。そしてある時点でその二つは合成されて投影される。そうですね」

「その通りです。人間の未来はせいぜい三日後くらいしか確定していません。選択肢が多いため未来へ行くにしたがってぼやけてくるのです」

「自然はそういうことはないのですか」

「ほとんどありません。自然の未来はほぼ確定的です」(p.210)



3日までしか確定はしていないのですね。
でも急にはハンドルは切れないと思いますが。
Gがすごいと思います。
それとも急ハンドルを取るつもりなのでしょうか?

man in the mirror

新しい世界

新しい世界、ありがとう。

物質的な最低限の暮らしさえできれば、幸せなことは世の中には一杯ある。音楽だったり、ダンスだったり、登山だったり、海に入ったり。

生きていることに感謝です。

水素が電気分解で高効率で出来、水素と水蒸気を混合させて燃焼させるエンジンが出来れば、水で走る事が出来る。

人類が地球の体液である原油を使う事を辞める事が出来る第一歩として
水で走る車に感謝します。
水で走る自動車

マイケル・ジャクソン。

ぼくも世界の一人として、意識実験に参加しよう。
MTV Music Award Performance
プロフィール

Author:hirochiha
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